7月22日(火)

雅歌(雅歌3・1−4a)
  わたしは恋い慕う人を見つけた
〔おとめは歌う。〕
夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても
求めても、見つかりません。
起きだして町をめぐり
通りや広場をめぐって
恋い慕う人を求めよう。
求めても、あの人は見つかりません。
わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。
「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」

彼らに別れるとすぐに
   恋い慕う人が見つかりました。

    

使徒パウロのコリントの教会への手紙(二コリント5・14−17)
  わたしたちは今はもう肉の従ってキリストを知ろうとはしない
〔皆さん、〕キリストの愛がわたしたちを駆り立てて〔います。〕
わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方が、すべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んでくださった方のために生きることなのです。
 それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストそ知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた〔のです。〕


ヨハネによる福音(ヨハネ20・1-2、11-18)
  婦人よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。
「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、
「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。
「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。
「婦人よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。
「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えて下さい。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、
「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、
「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。
「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。
『わたしの父であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、
「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。