9月6日(土)

使徒パウロのコリントの教会への手紙(コリント4・6b-15)
  わたしたちは、飢え、渇き、着る物がない
〔皆さん、わたし自信とアポロ〕の例から、
「書かれているもの以上に出ない」ことを学〔び、〕だれも。一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶることがないように〔してください。〕あなたをほかのものたちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に 引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。
 こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。


ルカによる福音(ルカ6・1-5)
  なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか
 ある安息日に、イエスが麦畑を通っていかれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。ファリサイ派のある人々が、
「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と言った。イエスはお答えになった。
ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ、供の者たちにも与えたではないか。」そして、彼らに言われた。
「人の子は安息日の主である。」