9月30日(火)

ヨブ記(ヨブ3・1-3、11-17、20-23)
  なぜ、労苦する者に光りを賜るのか
ヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って、言った。

 わたしの生まれた日は消え失せよ。
 男の子をみごもったことを告げた夜も。

 なぜ、わたしは母の胎にいるうちに
   死んでしまわなかったのか。
 せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。
 なぜ、膝があってわたしを抱き
 乳房があって乳を飲ませたのか。
 それさえなければ、今は黙して伏し
 憩いを得て眠りについていたであろうに。
 今は廃墟となった町々を築いた
    地の王や参議らと共に。
 なぜわたしは、葬り去られた流産の子
 光を見ない子とならなかったのか。
 そこでは神に逆らう者も暴れ回ることをやめ
 疲れた者も憩いを得〔る。〕

 なぜ、労苦する者に光を賜り
 悩み嘆く者を生かしておかれるのか。
 彼らは死を待っているが、死は来ない。
 地に埋もれた宝にもまさって
   死を探し求めているのに。
 墓を見いだすことさえできれば
 喜び躍り、歓喜するだろうに。
 行くべき道が隠されている者の前を
   神はなお柵でふさがれる。


ルカによる福音(ルカ9・51-56)
  イエスは、エルサレムに向かう決意を固められた
 イエスは、天にあげられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスエルサレムを目指して進んでおられたからである。弟子のヤコブヨハネはそれを見て、
「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。イエスは振り向いて二人を戒められた。そして、一行は別の村に行った。