10月13日(月)


使徒パウロのガラテヤの教会への手紙(ガラテヤ4・22-24、26-27、31~5・1)
  わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子である

 〔皆さん、〕アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。ところで、女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由な女から生まれた子は約束によって生まれたのでした。これには、別の意味が隠されています。すなわち、この二人の女とは二つの契約を表しています。子を奴隷の身分に産む方は、シナイ山に由来する契約を表していて、これがハガルです。他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。なぜなら、次のように書いてあるからです。
  「喜べ、子を産まない不妊の女よ、
  喜びの声をあげて叫べ、
  産みの苦しみを知らない女よ。 
  一人取り残された女が夫ある女よりも、
  多くの子を産むから。」
要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。
  この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。


ルカによる福音(ルカ11・29-32)
  今の時代には、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない

〔そのとき、〕群衆の数がますます増えてきたので、イエスは話し始められた。
「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさる者がある。また、ニネベの人々は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。」